成り立ち

事業団の生い立ち(2009年01月)

 1960年、米軍極東放送(埼玉県・朝霞)のロバート・ニーマンさんは、肺炎にかかった愛児が奇跡的に助かったことに感謝し、横浜の貧しい盲目の少女に手術費用を提供、開眼に成功しました。その後も多くの人々の支援を受けて、開眼可能な子供たちに治療費を援助、70人に〈光〉をプレゼントしました 
翌年春、任務を終えて帰国するニーマンさんは、この事業を読売新聞社に託して日本を去りました。同年、「読売光のプレゼント協会」が設立され、光のプレゼントが始まりました。

 1968年、東京・神田の医師が、心身障害で寝たきりの愛児を絞殺、自分はガス自殺を図りました。このことから、障害児問題の深刻さに心を痛めた栗林商船の栗林友二会長が読売新聞社を訪れ、「心身障害児の援護資金に」と2,000万円を寄託されました。
読売新聞社ではこれに応え、社からも基金を拠出して、翌1969年3月、「読売愛のプレゼント協会」を設立(1970年認可)して、愛のプレゼント運動がスタート。心身障害児だけでなく、社会的に恵まれない人々へと愛の輪を広げました。

「光」と「愛」の姉妹協会は、1971年に合併して、財団法人「読売光と愛の事業団」に発展しました。

写真:ロバート・ニーマン氏と当時の皇太子ご夫妻

写真キャプション 光のプレゼント運動の恩人ニーマンさんと
務台光雄理事長を励まされる皇太子ご夫妻
(1971年当時、東宮御所で)


その後のあゆみ

1978年6月  活動を広げるため、読売新聞大阪本社内に大阪支部を開設

1984年9月  読売新聞西部本社内に西部支部を開設

1991年4月  点訳と朗読奉仕活動の拠点、「山路ふみ子記念・読売ボランティアセンター」を東京・目白に開設

1999年3月  読売光と愛・郡司ひさゑ奨学基金を設立。児童養護施設などから大学や専門学校に進学する生徒に奨学金の支給を始める

2001年11月 事業拡充のため、財団法人から社会福祉法人に組織変更

2005年3月  特別養護老人ホーム「よみうりランド花ハウス」を川崎市に開設

2012年2月 小規模特別養護老人ホーム「花ハウスすみれ館」を川崎市に開設

2014年3月 介護老人保健施設「よみうりランドケアセンター」(川崎市)を統合


                          

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